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華麗なる小宇宙・犬山焼名品展
橋本道廣
令和6年5月10日(金)~8月11日(日)
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古大山焼の創業(今井窯)から明治6年(丸山窯)廃窯まで

  • 創業の今井窯は、奥村氏が犬山の今井に元禄年間開窯と云われているが、現在では宝暦年間であろうと云うのが定説となっている。この窯は、天明2年廃窯となっている。
  • 文化7年、窯主島屋惣九郎が丸山に開窯。その後、文化14年、綿屋太兵衛が引継ぐが、作品がどの様なものであったかは判然としない。当時の文献自体少ないことである。
  • 文政5年、志段味から加藤清蔵来る。文政9年、志段味から加藤虎蔵が来て磁器の焼成を開始したが、天保元年に営業不振からか廃業となる。この頃の作品も決定的なものが見いだせない。
  • 天保元年、加産清蔵が窯主となり、成瀬家らの支援を仰ぎ再興。志段味の松原惣兵衛を招き赤絵の焼成を開始した。天保6年、陶画工の道平が参加。天保9年、成瀬正住が三光御殿において御庭焼を焼かせる。呉須赤絵・色絵雲錦手なども量産に入るのである。嘉永年間に画工。近藤清九郎が参加。また、瀬戸より陶工・川本治兵衛も来ている。幕末は最盛期となる。明治4年の廃藩置県を経て、明治6年頃、丸山窯の廃窯。終焉となる。

華麗なる小宇宙とは

  • 犬山焼は、城主成瀬家の支援と庇護のもとにあり、成瀬家は尾張藩筆頭家老職で三万石を有したことにより、御庭焼と同等の扱いを受けたと推察する。
  • 現在までに伝わった作品は、茶碗・煎茶碗・水指・花入・振出・急須・香合・香爐などの茶道具であった。それらは色鮮やかな倣呉須赤絵と雅な道八焼などの色絵錦手模様を使うことにより、格式のある犬山焼となったのである。成瀬家では陶工に特注指示し贈答品として扱ったのであろう。

出展に際して

  • 平成17年3月、当館様のご協力により初めて出展。今回で2回目です。出展にあたり自身収集品400点の中から選出致しました。地元の犬山焼研究家・小池憲雄氏のご指導とご協力を心よく引受けていただき感謝しております。
  • 今回の選定は、意匠からの分類ではなく、器の形状での分類と致しました。①鉢6、②皿17、③茶道具34、④壷・瓶・花入10、⑤蓋付茶碗・向付・蓋物12、⑥盃洗・盃・徳利16、⑦その他5の7分類100点選出致しました。
  • 古犬山焼は画工や陶工の努力により、優雅さが出ている。中国赤絵の本科は精緻ものが多いが、古犬山焼は大胆さと素朴な筆致があり、釉薬もたっぷり使用して品格もあり好感が持てる。作品の形状もいろいろな物を造っており、収集していて楽しい焼物である。

犬山焼関連年表(犬山焼研究家・小池憲雄氏作成)

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  • 江戸宝暦年間、今井村(現在の犬山市今井)において、奥村伝三郎が今井窯を築き、焼物を作ったのが始まりです。その後、犬山城主成瀬正寿が文化7年、丸山に開窯、文政年間には、犬山藩お庭焼として発展しました。
  • 作風は、中国明時代の呉州赤絵を手本とする呉州風赤絵(あかえ)、犬山城主成瀬正寿の意匠による光琳風の桜と紅葉を描いた雲錦手(うんきんで)が特徴です。

荒木集成館の概要 ~地元の歴史・文化がわかるコレクション館~

荒木集成館

 荒木集成館は、集成館という名があらわすように、考古を中心としたあらゆる収集品(コレクション)を展示・紹介する博物館です。

 1952(昭和27年)、中学教師だった荒木實は、生徒の拾った一片の土器をきっかけに考古学の研究をはじめました。そして多くの遺跡の発掘調査に参加し研究を続け、1970(昭和45)年10月31日、名古屋市千種区に自らの力でミニ博物館「荒木集成館」を設立しました。

 その後、1978(昭和53)年12月14日、天白区に財団法人荒木集成館として移転。そして平成25年12月3日付けで荒木集成館は「財団法人」から「公益財団法人」になりました。

 二階の常設展示室では、土器や石器などの考古資料を時代ごとに展示しています。特に荒木自身が発掘・調査研究を行ってきた「東山古窯址群」と呼ばれている昭和区・千種区・天白区の遺跡からの出土品が、展示の中核となっています。

 一階の展示室では、化石・陶磁器などジャンルを問わず、さまざまな展示会が行われています。ここは、一般の収集家や研究者の方々の長年の成果を発表する場となっています。当館が収蔵する江戸時代から昭和にかけて数多く焼かれていた名古屋のやきもの展示も定期的に行っています。

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