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尾張・美濃焼の逸品
コレクターから見た尾張・美濃焼の逸品 伊藤正孝
令和7年9月7日(日)~12月7日(日)
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ごあいさつ

伊藤

 高校生の時から骨董屋さんに通い始め今年で57年になりますが、経済的事情から全国区のものとはいかず、 地方区が中心でそれも系統だった収集とはならず中途半端なものです。

 今回展示したものは瀬戸 美濃 名古屋周辺の江戸期以降の物です。題に 「逸品」という文字を入れましたが、 自分の目で逸品であるとして入手した物は、ほとんどありません。

 先輩や骨董屋さんが 「これは良い、あんたが持ちなさい。」と言われ「そうかなあー?」と思いながら買いました。

 なかにはそのとき初めて名前を聞いた物もありました。

 最近になって博物館等から時々借りに来られるようになり、いかに私の周りに運良く目利きの方が多かったかと思い知らされました。

 これらを散逸させることなく展示するこができ、地元文化の再認識に役立てれば幸いです。

 

 

 

 

瀬戸・美濃地方の焼物

 平安時代から現在に至るまで連綿として続いてきた焼物の里瀬戸 美濃地方は桃山時代茶の湯の流行に伴い茶道具の生産が隆盛となるが、茶人の好みが変わると日用雑器の生産が中心となる。17世紀中ごろ有田で中国並みの磁器生産が開始されると、瀬戸・美濃地方の窯業は次第に不振となっていくが、19世紀初頭この地方でも磁器生産に成功するとじり貧状態から脱するようになる。

名古屋及びその周辺の焼物

 この地方は豊かな経済力を背景に茶道が盛んで、これに関する焼物が各所で焼かれた。他の地方と異なり先進窯業地(常滑・瀬戸・美濃)が控えており、本格的に焼き上げられた物が多い。

荒木集成館の概要 ~地元の歴史・文化がわかるコレクション館~

荒木集成館

 荒木集成館は、集成館という名があらわすように、考古を中心としたあらゆる収集品(コレクション)を展示・紹介する博物館です。

 1952(昭和27年)、中学教師だった荒木實は、生徒の拾った一片の土器をきっかけに考古学の研究をはじめました。そして多くの遺跡の発掘調査に参加し研究を続け、1970(昭和45)年10月31日、名古屋市千種区に自らの力でミニ博物館「荒木集成館」を設立しました。

 その後、1978(昭和53)年12月14日、天白区に財団法人荒木集成館として移転。そして平成25年12月3日付けで荒木集成館は「財団法人」から「公益財団法人」になりました。

 二階の常設展示室では、土器や石器などの考古資料を時代ごとに展示しています。特に荒木自身が発掘・調査研究を行ってきた「東山古窯址群」と呼ばれている昭和区・千種区・天白区の遺跡からの出土品が、展示の中核となっています。

 一階の展示室では、化石・陶磁器などジャンルを問わず、さまざまな展示会が行われています。ここは、一般の収集家や研究者の方々の長年の成果を発表する場となっています。当館が収蔵する江戸時代から昭和にかけて数多く焼かれていた名古屋のやきもの展示も定期的に行っています。

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