Home >

松尾コレクション・陶器
松尾功一
令和4年5月8日(日)〜8月7日(日)(金・土・日開館展示)
0

はじめに

 古来より趣味の収集は陶器に始まり陶器に終わると云われています。私がこれまでに集めた陶器のうち、九谷焼を紹介します。

九谷焼の由来(歴史)と手法

 九谷焼は日本を代表する色絵陶磁器です。
 江戸時代前期、大聖寺藩領の九谷村で生産されたことから九谷焼の名称がつきました。

 1655〜58年頃から1688〜1704年にかけて作られたものを古九谷と呼ばれ、5つの色(赤・黄・緑・紫’紺青)を使った「九谷五彩」の色彩で描かれています。

 九谷焼は、半世紀ほどで1度は廃窯となりましたが、廃窯から100年後に加賀藩の取り組みにより作られるようになりました。1807年に木米風の春日山窯が作られ、1827年には青・黄・紫・紺青の4鮮が美しい吉田家風、1831年に「九谷赤絵」と呼ばれる特徴的な名赤色を使った飯田家風、1841年に古九谷・吉田家・赤絵・金襴手の手法を兼ね備えた庄三風、1865年に艶やかな赤と金が施された永楽風が誕生しています。

 また最大の魅力は「上絵付け」です。上絵付けは、本焼きした陶磁器の釉薬(ゆうやく)の上に顔料で紋様を書き、再度焼く技法で九谷焼や有田焼に広く用いられています。

 上絵付けには「赤・黄・緑・紫・紺青」の五彩手という、みごとな色彩効果と優美な絵模様に表れ、窯ごとに独自の画風があります。その他「緑・黄・紫・紺青」を使用した青古九谷の塗埋手(ぬりうめで)があります。

 展示品の九谷焼は、主に「緑・黄・紫・紺青」を使用した青古九谷の塗埋手(ぬりうめで)盛り上げて作られたおり、青九谷と呼ばれています。見込み(表面の模様)に青と言っても実際は緑色を呈していした陶磁器の焼ものです。

伊万里焼の由来(歴史)と特徴

 伊万里焼は佐賀県有田町周辺で作れてている磁器で、現在の伊万里川河口付近から船で積み出された「伊万里焼」と呼ばれるようになりました。
 江戸時代の1616年頃の、染め付け呉須のみで仕上げれてたシンプルで厚みのある焼きのでしたが、酒井田柿右衛門により上絵付がされるようになりました。
 1640年代に特徴的な赤絵の柿右衛門様式生まれ、1688年赤や金を使った、華やかな金襴手様式(きんらんてよき)が生まれました。

荒木集成館の概要 〜地元の歴史・文化がわかるコレクション館〜

荒木集成館

 荒木集成館は、集成館という名があらわすように、考古を中心としたあらゆる収集品(コレクション)を展示・紹介する博物館です。

 1952(昭和27年)、中学教師だった荒木實は、生徒の拾った一片の土器をきっかけに考古学の研究をはじめました。そして多くの遺跡の発掘調査に参加し研究を続け、1970(昭和45)年10月31日、名古屋市千種区に自らの力でミニ博物館「荒木集成館」を設立しました。

 その後、1978(昭和53)年12月14日、天白区に財団法人荒木集成館として移転。そして平成25年12月3日付けで荒木集成館は「財団法人」から「公益財団法人」になりました。

 二階の常設展示室では、土器や石器などの考古資料を時代ごとに展示しています。特に荒木自身が発掘・調査研究を行ってきた「東山古窯址群」と呼ばれている昭和区・千種区・天白区の遺跡からの出土品が、展示の中核となっています。

 一階の展示室では、化石・陶磁器などジャンルを問わず、さまざまな展示会が行われています。ここは、一般の収集家や研究者の方々の長年の成果を発表する場となっています。当館が収蔵する江戸時代から昭和にかけて数多く焼かれていた名古屋のやきもの展示も定期的に行っています。

公式Twitter