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東海化石研究会顧問 水野吉昭さんの記事を紹介します。

東海化石研究会は、荒木集成館で平成29年1月13日〜4月9日までの間、県の化石(日本地質学会が選考した県の石から)展を開催予定です。

2016年12月28日(水)中日新聞県内版 20頁 から引用

中日新聞

 貴重な化石 散逸の危機 知多で80年代発見 県内に保管受け皿なく

 【愛知県】一九八〇年代、知多半島南部の地層「師崎層群」で大量に見つかった二千万年近く前の化石が、廃棄や県外流出の危機にある。大半を保管する市井の研究者が六十代となり、保管し続けることに不安を抱えているためだ。専門家によると、県外では「地域の宝」として保管・展示する動きがあるが、現時点で、師崎層群に受け皿は見当たらない。(竹田佳彦)

 三十畳ほどの自宅倉庫には、天井近くまで化石を収めた棚が並ぶ。師崎層群の化石が五千点。倉庫に収まりきらない標本は、袋に包んで庭に置かれている。東海化石研究会顧問、水野吉昭さん(63)=名古屋市守山区=が知多半島に通い詰め、集めた。

 化石は一九八〇年代、農地の造成で見つかった。体長四〇センチを超えるサバの群れや体の仕組みが鮮明に分かる深海魚、ウニの仲間…。鯨の骨に寄生する生物群の化石は世界でも二例目で、今は太平洋にいないヒトデもあった。

 水野さんのコレクションは国内でも有数とされ、国立博物館をはじめ各地の研究者が頻繁に訪れる。同様に貴重な標本を自宅に保管する市井の研究者は県内に何人もいて、未整理の標本からは今も新種が見つかる。

 保管は難しい。化石は紫外線や二酸化炭素、雨水で変色、風化する。箱や袋に入れて暗い部屋に置いても劣化するため「個人管理では、どれだけ気を使っても限界がある」と話す。「化石は産出した土地にあるのが望ましいが、自分が死んだら捨てられるか、県外に持っていかれるか」

 博物館は一般に化石も含む自然史系と、古文書や絵画、古い道具などを収集する歴史系に分かれる。県内で自然史系の公立博物館は豊橋市と半田市にしかなく、化石の専門家がいるのは、豊橋市自然史博物館だけだ。収蔵庫はともに余裕がないという。

 県立は博物館そのものがなく、県教委の担当者は「県内は歴史系の博物館が中心。化石などは保管場所が限られてしまう」と認める。

 二十五万点の化石を収蔵する岐阜県瑞浪市化石博物館の柄沢宏明学芸員(52)によると、東日本大震災では沿岸部の博物館から植物や昆虫など収蔵品が大量に流失、破損した。震災後、地元ゆかりの標本を守ることに各地で関心が高まっている。柄沢さんは「博物館は建物だけの話じゃない。専門の学芸員や保管方法も考慮する必要がある」と話している。

 (メモ)

 師崎層群 知多半島南部にある1800万〜1500万年前の新生代第三紀中新世の地層。下から日間賀累層、豊浜累層、山海(やまみ)累層、内海累層に区分される。水深2、300メートルの漸深海帯に生息した生物の化石が良好な状態で多数見つかる「化石鉱脈」。体の軟体組織を鮮明に残す動物の化石が相次ぎ見つかったカナダのバージェス頁岩(けつがん)にならい、「日本のバージェス」と評した研究者もいる。

2016年1月30日(土)朝日新聞に掲載されました。

朝日新聞

 レプリカ(化石模型)の世界 東海化石研究会 4月10日までの金・土・日午前10時〜午後5時、名古屋市天白区中平5の荒木集成館(052・802・2531)。ティラノサウルスの歯や始祖鳥のレプリカをはじめ、博物館などで展示に使用されてきた化石模型の代表的な逸品から贋作(がんさく)までを紹介する。入館料300円。






2015年12月23日(水)中部経済新聞に掲載されました。

中部経済新聞

なごみスポット

地元考古資料の私設博物館 天白区 荒木集成館

 博物館「荒木集成館」(名古屋市天白区中平5の616、電話052・802・2531)は、名古屋市千種区から天白区にまたがる遣跡「東山古窯祉群(ひがしやまこようしぐん)」から発掘・採集した考古資料をはじめ、市内各地の遣跡発掘品などを展示している。地下鉄鶴舞線・原駅から市バス全系統の天白消防署バス停で下車、南へ徒歩約2分で到着する。入場料は300円。開館は週末の金・土・日曜日(年末年始は休館)。

 1階の特別展示室では年間3回、「特別展」を開催する。次回は1月15日から4月10日まで、「東海化石研究会化石展・化石レプリカの世界」を開催する。世界でさまざまな恐竜の化石が発掘されているが、希少価値が高く珍しい化石には、数多くの「レプリカ」が制作されている。その中でも、特に有名な化石レプリカを選んで展示する。

 2階には、縄文土器や弥生土器、古墳時代や平安時代の発掘資料などが年代順に展示されている。杯、すり鉢、薬壺、皿、瓦など、日常的に使われていたものが多い。展示規模は小さいが、地元の悠久の歴史を身近に感じることができる。

 同博物館は、中学校の教師だった荒木実氏が設立した。荒木氏は、生徒の拾った土器片を見たことがきっかけで、1952年(昭和27年)から地元の考古学研究を開始。その研究成果と収集品を展示・紹介する拠点として、同博物館を開設した。特別展示室では、ジャンルを問わずさまざまな展示会が行われ、一般の研究者や収集家の発表の場となっている。

2013年1月25日 地域みっちゃく情報誌「天白フリモ」の巻頭特集に掲載されました。

天白フリモ

 2013年1月25日発行の地域みっちゃく情報誌「天白フリモ」の巻頭特集に掲載されました。


荒木集成館

 一片の土器に導かれ、考古学の世界へ 東山古窯に関する唯一の展示施設

 天白区には多くの遺跡がありますが、その大部を占めるのが窯跡です。かつて名古屋市東部の東山丘陵地帯は古代の窯業の中心地で、窯が築かれ始めたのは古墳時代にまでさかのぼります。のちに「東山古窯址群」と名付けられる、この地域一帯に点在する窯跡を見つけ、調査・研究の先駆けとなったのは、ひとりの中学校教師でした。

生徒が拾ってきた土器片 その正体を知りたくて

 昭和27年12月のある日、名古屋市立城山中学校で理科の教師をしていた荒木実さんのもとに、ひとりの生徒がやってきました。手にしていたのは土器の欠片らしきもの。聞けば、山で拾ったとのことで、それが何かを尋ねたくて持って来たのだと生徒は話します。

 社会科の教師らに聞いて回っても判明しません。とりあえず、その日の放課後、荒木さんは生徒たちといっしょに問題の土器片を見つけたという場所へ出かけてみました。すると、そこは畑にするため山を開墾していた場所で、じゃまになる大小の石とともに土器片が山積みしてあったのです。

 何とかして正体を探ろうと努めていたところ、それらの土器片が古墳時代に朝鮮半島から伝えられた須恵器の一片であることがわかります。

 当時、荒木さんは自然観察を得意としており、豊かな自然が残る東山地域をよく散策していました。そんな出来事があって以来、気にして歩いていると、たくさんの土器片が埋まっている場所が見つかります。地域のあちらこちらで出土する以上、そこには学術的な意味があるのではと、荒木さんの興味はさらに高まり、調査は次第に本格化していきました。

 専門外の考古学を独学で学び、古窯跡を発掘したり、分布を調べたり、石器や土器などを収集したりと、調査・研究は中学校を退職後も続けられます。そして平成6年、長年にわたる研究成果をまとめた『東山古窯址群』を上梓。翌年にはそれらの功績が認められ、CBCクラブ文化賞を受賞しました。

 東山古窯址群の研究とともに、荒木さんのもうひとつの大きな業績に博物館の開設があります。研究のために収集した考古資料。個人のコレクションで終わらせず、広く公開していくことに意義を見いだしていたのです。

収集した考古資料を展示 私財を投じて博物館を

 そのきっかけとなったのが、長野県茅野市の考古博物館「尖石館」。現在は公立博物館「茅野市尖石縄文考古館」ですが、荒木さんが訪れた昭和30年は、考古学者宮坂英弌氏が自宅敷地内に独力で建てたという小さなものでした。氏の研究に対する真摯さや熱意に心打たれ、いつか自分も、と夢描くようになりました。

 昭和45年10月31日、荒木さんはその夢を実現します。私費を投じたミニ博物館「荒木集成館」が千種区大島町に開館しました。昭和48年には中学校を退職し、以後は研究と館長の職務に専念するようになります。そして昭和53年12月14日、現在の天白区中平に「財団法人荒木集成館」として移転しました。

 荒木集成館は1階が特別展示室、2階が常設展示室になっています。常設展示されているのは、荒木さん自ら発掘、収集した考古資料が中心。東山古窯址群の出土品のほか、縄文や弥生時代の土器なども並びます。縄文式土器、弥生式土器、須恵器、瓷器と呼ばれる灰釉陶器と、土器や陶器の変遷を時代ごとに展示することで、小中学生から年配者まで、考古学の知識がなくても興味を持てるよう工夫しています。

 また、特別展示室では一般収集家や研究家による展示が年3〜4回開かれています。なかなか研究の成果を発表する場のない彼らのために、展示スペースを提供してきました。荒木集成館は、地域における文化の拠点という役割も担ってきたといえるでしょう。

 生徒が拾ってきた一片の土器。当初は自分の好奇心を満たすためだったかもしれませんが、荒木さんは50年近くにわたり東山古窯址群の調査・研究に精根を傾けてきたのです。平成17年8月27日、83歳の生涯を閉じられました。

東山古窯址群

文・写真/長屋整徳 デザイン/佐藤昌平

 東山古窯址群とは、名古屋市千種区・昭和区・天白区・名東区にまたがる古い窯跡が数多く見られる地域の総称。東西を名古屋市東部から豊田市西部、南北を瀬戸市南部から刈谷市北部とする約20キロ四方に残る古窯跡群を猿投山西南麓古窯跡群(猿投窯)と呼ぶが、東山古窯址群はその一部とされている。猿投窯は日本で初めて灰釉陶器を生産したことでも知られており、古窯跡が1千基以上見つかっている。

 古墳時代、朝鮮からの渡来人によって、新しい陶器生産の技術がもたらされる。須恵器といい、ロクロを使って高温で焼成する。それが尾張地方にも伝わり、現在の名古屋市東部の丘陵地に窯が築かれた。猿投窯の中で、最も古い時代の窯は東山古窯址群のものであることから、この地域が出発点、母体であったと考えられている。

 名古屋市東部には粘土層が広がっており、高木が育たない環境で、陶土と燃料のまきの確保が容易だったためであろう。時代が下るにつれ、生産拠点は東方、南方へと拡散、拡大していく。燃料の枯渇がひとつの要因ともいわれる。

 製造された飲食器や祭器類は都の貴族や寺社、各地の豪族など当時の支配層に供給されていた。また、天白区八事で発掘された八事裏山窯は平安から鎌倉時代の窯で、瓦や仏具のほか、山茶碗など大衆向きの雑器などが発掘されている。瓦は京都や鎌倉へ運ばれ、寺の屋根瓦に使われていたという。

 古代から中世にかけて多くの窯が築かれ、窯業の中心地として栄えたものの平安後期以降、次第に衰退し、ついには姿を消した。しかし、尾張の陶器生産は常滑窯や瀬戸窯に受け継がれていき、現代に至る。

2010年5月8日 中日新聞県内版20頁に掲載されました。

大石浩士

 2010年5月7日〜8月8日に開催の特別展「近代尾張の茶碗展 大石浩士コレクション」の記事が中日新聞に「幕末から昭和初期 近代尾張の茶碗展 名古屋で開幕」との見出しで掲載されました。


幕末から昭和初期 近代尾張の茶碗展 名古屋で開幕

 「近代尾張の茶碗展」が七日、名古屋市天白区の荒木集成館で始まった。八月八日まで。

 同市昭和区の団体職員大石浩士さん(四八)が集めた幕末−昭和初期の常滑焼や瀬戸焼などの茶わん四十点を展示。名古屋城周辺の窯で焼かれた作品も多い。

 大石さんは「通常あまり注目されない時期の作品が多いが、これだけの作品があり、技術が伝承されてきたことをぜひ見てほしい」と呼び掛けている。

 開館日は金・土・日曜と祝日。入場料は大人三百円、高・大学生百八十円、小・中学生百円。(問)同館=電052(802)2531

2009年10月15日 読売新聞の新刊とうかい欄に「みどりの歴史を訪ねて」が紹介されました。

淡河俊之

新刊とうかい みどりの歴史を訪ねて 鳴海編 淡河俊之著 みどり小さな歴史資料館刊

 桶狭間など過去と比較

 著者の淡河俊之さん(64)(名古屋市緑区徳重)は、東海3県を中心に取材活動を続けた元全国紙記者。出身地でもある名古屋市緑区鳴海町の神社仏閣や古墳、旧家などを訪ねて、地域の歴史をまとめたのが本書だ。

 淡河さんが1977年頃に担当した企画で、同区の名所を取材したことが出版のきっかけ。区内を歩くうち、開発で町の姿が様変わりする姿を目の当たりにし、先人が残した大切な歴史が消えていくのは忍びない」と痛感した。古文書など歴史を物語るものを収集する一方、郷土史家や古老を訪ね、言い伝えなどの取材を重ねた。

 本には、鳴海地区の古窯や京都と関東を結ぶ鎌倉街道、織田信長と今川義元が戦った桶狭間などを、自ら撮影した写真と過去の写真を比較しながら、わかりやすく掲載した。淡河さんは「多くの人に鳴海の歴史を知ってもらい、愛着を持ってほしい」と話している。現在は有松・大高編と年表を執筆中だ。(青山正敏)

メモ A4判45ぺージ。150D円〔税込み〕。問い台わせはみどり小さな歴史資料館(052・876・9430)。

2009年7月17日 みどりの歴史を訪ねて 鳴海編 発刊

淡河俊之

 2009年5月8日〜8月9日「東海道の宿場『鳴海』の古今 〜記者の目で見つけた地元の歴史〜」特別展の展示者 淡河俊之氏が「みどりの歴史を訪ねて 鳴海編」を発刊しました。

 A4版 中綴じ カラー 46頁 1500円です。荒木集成館で販売中です。 詳細

2009年6月27日 タウンニュースてんぱくに掲載されました。

淡河俊之

 2009年5月8日〜8月9日に開催の特別展「東海道の宿場『鳴海』の古今 〜記者の目で見つけた地元の歴史〜」の記事が中日新聞の折り込み紙「タウンニュースてんぱく」に「東海道の宿場「鳴海」展 8月9日まで、荒木集成館」との見出しで掲載されました。

2009年5月20日 朝日新聞に掲載されました。

淡河俊之

 2009年5月8日〜8月9日に開催の特別展「東海道の宿場『鳴海』の古今 〜記者の目で見つけた地元の歴史〜」の記事が朝日新聞に「鳴海の古今 元記者展示 天白、小道具や版画100点」との見出しで掲載されました。

2009年5月19日 毎日新聞・毎日JPに掲載されました。

淡河俊之

 2009年5月8日〜8月9日に開催の特別展「東海道の宿場『鳴海』の古今 〜記者の目で見つけた地元の歴史〜」の記事が毎日新聞・毎日JPに「あちこち・あいち:「鳴海」歴史資料展−−名古屋・天白区 /愛知」との見出しで掲載されました。

 

 あちこち・あいち:「鳴海」歴史資料展−−名古屋・天白区 /愛知

 旧東海道の宿場町「鳴海」の歴史を紹介する展示会「東海道の宿場『鳴海』の古今〜記者の目で見つけた地元の歴史」が、名古屋市天白区中平の荒木集成館で開かれている。

 元毎日新聞記者の淡河俊之さん(64)=同市緑区=が集めた古道具など鳴海に関係する資料約1200点の中から、版画や濃尾地震の記録図など約100点を展示している。8月9日までの毎週金、土、日曜のみ開館。入館料は一般300円、高校・大学生180円、小・中学生100円。【稲垣衆史】

2009年5月9日 読売新聞・YOMIURI ONLINEに掲載されました。

淡河俊之

 2009年5月8日〜8月9日に開催の特別展「東海道の宿場『鳴海』の古今 〜記者の目で見つけた地元の歴史〜」の記事が読売新聞・YOMIURI ONLINEに「宿場・鳴海の資料100点並ぶ 天白」との見出しで掲載されました。

 記事の詳細は YOMIURI ONLINE をご覧ください。