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装いのコレクション 伊藤正孝
鏡・化粧道具・装身具・袋物・喫煙具・布
令和元年9月7日(土)~12月8日まで(金・土・日開館展示)
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はじめに

伊藤正孝

 有史以来古今東西を問わず、装身・化粧による美の追求は文化として今日まで受け継がれています。我が国でもすでに縄文晩期の土偶や古墳時代後期の埴輪の顔に人為的装飾とみられるものがあります。また、魏志倭人伝の記述にも装身に関するものがあります。今回、数十年にわたり収集したコレクションの展示から江戸から明治、戦前から戦後へと大きく生活習慣が変わったなかで装いの変化のようなものを感じていただければ幸いです。今回の展示の機会を与えていただいた荒木集成館のご厚意に心より感謝いたします。

 日本では天岩戸の鏡や卑弥呼の三角縁神獣鏡以来圧倒的に円鏡が好まれるようです。江戸時代になり実用鏡は柄鏡が主流となっても宗教的なものは円鏡が用いられ、現代に至っている。これは鏡を太陽とだぶらせ神聖なものとして観念されていることによるものでしょう。

  1. 平安・鎌倉時代
     平安時代中頃までは他の文化と同様、大陸の模倣であったが、この時期日本独自の「和鏡」が完成する。そして鎌倉時代になると鋳造技術は大陸を凌ぐものとなるが文様は動きが少なくなり、次第に形式的になり始める。
  2. 室町時代
     室町時代になるとさらに文様のマンネリ化が進み、流動感がなくなり、固定化してしまう。鎌倉時代末からあらわれた長生殿図、竜宮図、擬漢鏡等の新鏡式の鏡背文も形式化した和鏡に新風を吹き込むものとはならなかった。
     室町時代後半に突如として形態の異なる柄鏡が出現する。既に平安時代後期から鎌倉時代にかけて、宋の柄鏡は相当数輸入され、その存在は日本でも認識されていたはずであるが、この時代初めて国産化され、以後明治時代に至るまで、宗教用のものを除き柄鏡が主流となる。
  3. 安土桃山時代
     円鏡は室町時代の惰性をそのまま承継したものが多い。柄鏡は持ち送りがなくなり、柄の下端の小孔もしだいに消えてゆく。鈕(ちゅう)も鈕用の穴がなくなり、鈕それ自体も消えてしまう。また、円鏡・柄鏡を問わず「天下ー」が鋳出されるようになる。
  4. 江戸時代がら明治時代
     ガラス鏡が一般に普及する明治中頃まで柄鏡が主流を占める。「天下一」銘は天和2年(1682)7月に禁止されたため、これを改作や削り取ったものが今日でも残っている。
      江戸中期から後期になると、口内鏡、懐中鏡、お守り鏡などの変わり鏡がみられる。

鏡台

 平安時代頃から使用されたものであり、初期のものは鏡を柱に固定するだけのものであった。室町時代後期になると化粧道具を入れる抽斗付の台の上に鏡を固定する装置を持つ箱型の鏡台が主流となり明治時代に至る。また、鏡を架ける枠木と支木だけの簡単な鏡架けも江戸時代を通じてよく使われた。

紅猪ロ・紅鉢

 江戸時代後期庶民生活が向上するにつれ、一般でも紅が使われるようなると、紅の容器として普及した。紅は太陽光線を嫌うので、使わないときはひっくり返すだけで光線を遮断するという合理的なものであり、使い終わると紅の店に持っていき再び紅を塗ってもらって使用した。名古屋の紅屋としては、名越各業独案内(明治4年)によると小伝馬町三丁目紅屋与助・押切町の紅屋忠七の名がみられる。

お歯黒

 魏志倭人伝や古事記にも記載があり、古くからの化粧の一つであったと思われる。江戸時代になると女性の場合沖縄諸島等を除き、身分を問わず行われていた。付け始めるのは成人式・婚礼いといった通過儀礼と深くかかわっていた。お歯黒は化粧の一つと観念されているが医学的にも有効なものである。鉄漿水(かねみず)は酸化第一鉄で歯のリン酸カルシュウムを強化し、五倍子粉(ふしのこ)のタンニンは歯周蛋白を収斂させ歯槽膿漏を予防する。そしてこれらの化合物であるタンニン酸第二鉄溶液はう蝕を予防する。

  1. お歯黒壺
     鉄漿水(酸化第一鉄の水溶液)を入れて保存した壺。鉄漿水は米のとぎ汁や酔等に古釘などの金属片を入れて作るが、酸化しやすいように各自が秘伝の材料(飴.餅・酒など)を入れ、さらにお呪(まじな)いまでしたという。
  2. うがい茶碗
     お歯黒をつけたあと五倍子粉のタンニンがたいへん渋かったので、口直しのうがい用として使われた茶碗。磁器製のものは、一般に飯茶碗よりやや大振りで外側に開き加減になっている。模様は内側のみに描かれているものが多い。

袋物

 安土桃山時代以降、壊中・袂(たもと)に入れたり、帯に挟んで持ち歩くものとして発達し、戸江戸時代中期以降は装身具としての意味合いが強くなった。贅沢禁止令の影響で外から見えないところに凝った金具や布が使われているものが多い。

  1. 紙入、財布
     金、紙を入れるほか、紅板等を入れた。
  2. 匂い袋
     香料は6世紀初頭仏教伝来とともに伝えられ、上流階級の間に広まった。江戸時代になると一般庶民の間にも香りを楽しむ習慣が広まった。匂い袋も懐中に入れたり、帯に挟んだりして香りを楽しんだ。形は巾着のものが多く.現在のものよりかなり大きい。(匂い袋の中には護符なども入れたようです。また、奈良人形は現在ように観賞用のものでなく、明治の末年頃までは匂い袋の畏付として用いられたようです。)

喫煙具

 「たばこ」は、天文年間以降南蛮貿易とともに伝わったといわれ、今日ではその害もよく知られているがもっとも身近な嗜好品として愛好され続けている。江戸時代中期その生産が多くなり供給が安定するようになると身分の上下を問わず喫煙の習慣が定着し、各階層で贅を尽くした喫煙具が使用された。

髪飾り等(櫛・簪・笄など)

 髪飾りは既に縄文時代からあったが、途中垂髪の時代が長かったことから、江戸時代男髷から発達した日本髪の時代となるまで、あまり発達しなかった。江戸時代は女性の結髪史上最も華やかな時代となり髪型は200種類以上にも及んだといわれる。それとともにその引き立て役としての髪飾りが重要な位置を占めるようになり、化成期には職人芸の粋を尽くしたものや奇想天外なものが作られた。明治以降戦前までは日本髪も多く結われたが、その後は洋髪が主流となり、それにともない髪飾りも変化し現在に至っている。

衣装残裂

 お断り 劣化防止のため、期間中展示品を変更することがあります。

出展者紹介 伊藤正孝(いとうまさたか)

 1950年生まれ。春日井市在住。東海ゴム工業、愛知県職員を経て、伊藤正孝社会保険労務士事務所伊藤正孝行政書士事務所を開設。現在に至る。

 高校2年の頃から骨董に興味を持ち、名古屋の焼き物の収集をはじめる。その目利きは荒木集成館発行「名古屋のやきもの-荒木定子コレクション-」(2001年11月3日発行)に資料提供したことからも定評ある。

 焼き物にとどまらず、鏡、古地図、絵葉書、装身具等、コレクションの範囲は広く、収集するだけでなく収集物の研究にも力を入れている。

説明会の開催 10月6日(日)午後1時30分

 通常は学芸員の説明となりますが、この日は出展者による説明会を開催します。是非ご観覧ください。趣味の段階を越えた尊い研究を知っていただけると幸いです。

 学芸員 荒木正直