山口錠鐵をまとめて
私は、若い頃、先生に薦められたのがきっかけでお茶を始めました。茶道をはじめて、お茶には数多くの道具が必要であることを知りました。中でも、素材も様々で、一つづつ手造りされた作家のやきものに惹かれ、作品を買い集め始めました。休日には、名古屋の美術倶楽部や骨董店、骨董市など、名古屋市内の色々な場所に行って茶道具を見て回ります。また、各地の作家の家へ訪問し、本人からやきものについて知りたい事を伺ったり、道具を見て頂いたりする事もあります。
今回はそのようにしてコレクションした山口錠鐵(やまぐちじょうてつ)氏の作品を紹介します。
山口錠鐵氏(大正9年~平成11年)は瀬戸赤津代々の窯元です。
故山口錠鐵氏の人となりを知ってもらうために山口氏の作品に添えられていた品書きを引用して掲げます。
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明月蔵鷺
土に産れて土に生き、そして土に還る人生は畢竟土の変化である。陶器を愛する本然の心は私達が土であるゆえといえる。無邪気な子供の土いじりにもすぐ陶器つくりがなされる。誰が教えるともなしにこうした遊びをするのは、本来の面目土にあるからだ。
私の祖先は古く尾州山田庄山口に住し、豊太閤征韓の役に従軍して彼地の製陶秘法を得て皈り、瀬戸在赤津邑に居を移して代々製陶を業として、三百有余年来“赤津の窯屋山口”の名で広く深く親しまれて来た。戦争中企業整備の対照から除外されたのも古い伝統と固有の技法とそして愛陶家各位の絶大な御声援との賜物であつた。
私は幼少から土遊びが好きで、父錠鉄の手法をまねているうちに、いつしか父の個性と我が祖先伝来の織部独特の持味を生かす秘法とを会得したが、父にたよつている間は父を抜くことはできないと考え、更に志野、古瀬戸等の雅趣に富んだ陶芸技術の向上、意匠品位の改良をはかっているが、結局それは土に対する愛情と調和との外の何物でもない。
折りも好し私の製品に格別の御恩顧を頂いている京都南禅寺現管長菊僊老大師が、一日陶房に御柾錫あって、特に私のために“明月蔵鷺”御揮毫を賜わったことは、私の拙い陶芸の前途に一層の精進を促す基礎となった。
私は是れを朝夕の亀鑑として挙々服膺し、愈々大方の御清鑒にお応えしなければならない。
昭和甲午陽春 瀬戸市赤津 山口錠鉄
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